この史料は、慶応4年(1868)、維新期の動乱を避けて領家村に滞在していた儒学者安井息軒から橳島氏に宛てた書簡です。奉公人請状は、藤助なる人物が息軒に奉公するにあたって、年限などの条件を定めたものです。藤助は領家村の出身で、後に河原順信と名を改め、地元で子弟の教育に貢献しました。