天保7年(1836)に前田村(現在 南鳩ヶ谷4・5丁目)の人々が芝川沿いの土堤道に建立した庚申塔です。道標を兼ねており、「東西新井みち、西戸田みち、南川口みち、北前川みち」と刻まれています。かつては、土堤道が日光御成道と下青木村を結ぶ道と交差する四辻に立ち、それぞれの行き先を示していました。