江戸時代、八幡木の円明庵において庶民教育に尽力した良賢と英賢の墓碑です。良賢は中居村実正寺の住職でしたが、晩年に円明庵に移りました。英賢は入谷村円通寺の住職で、良賢の没後、それを継いで円明庵に移りました。台石には、師の遺徳をしのび、良賢の弟子25名、英賢の弟子31名の名前が刻まれています。