享和4年(1804)に小渕村(現在 三ツ和)の7名が奉納した算額です。和算(日本古来の数学)の問題と解答が記されています。問題は土木技術に応用される内容で、当時の村民の知識の高さとともに、そうした知識が新田開発等で生かされたことが推察できます。