当社は、古くは勢貴大明神として、洪水災難除けの神社で、旧入間川の大洪水によって、旧文蔵村(現さいたま市南区)より流れついたと伝えられています。内本殿は、間口1.5m、奥行1.31mの身舎(内陣)の前面に向拝を付した流造り板葺きの一間社です。これは、向拝部のみ床をつけた「見世棚造り」の桃山期の建造物として貴重です。